名作になるはずだった『新編水滸画伝』(巻の2)2022年12月26日
前回に続きNのブログです。
『新編水滸画伝』の概要をお話ししましたので今回は挿絵についてお話ししましょう。
今回タイトルに「名作になるはずだった」とつけたのは、作が曲亭馬琴から高井蘭山に変更され内容が原典のとおり単調になったという他に挿絵も変更を余儀なくされてしまったからです。
この本は『画伝』とあるように画で内容を伝えることをコンセプトにしています。
そのため挿絵がとても多く使われています。
個人的にお気に入りの挿絵が十六編にあるこの一枚。
湖に位置する梁山泊の様子を伝える挿絵として知られますが、周りを墨で塗りつぶす大胆性、絵を扇面でデザインするという意外性が注目されます。
(これ、単純に切り取って北斎画の扇を作ることができますね。)
版元の角丸屋は挿絵に対し相当力をいれていて、初編には他にも薄墨を使った挿絵などがあります。
『新編水滸画伝』初編をみると1冊につき6〜9図ほど盛り込まれているのがわかります。
しかし約20年後に出版された二編からは1冊につき3図程度しかありません。
北斎の原稿料も以前よりはるかに高くなっていることでしょう。
版元である河内屋茂兵衛は当時の体裁を縮小して出版にこぎ着けたようです。
逆に仮に角丸屋がそのまま出版を続けていたら北斎の挿絵数はかなりの量になったことでしょう。
ifの世界になりますが、本来の『新編水滸画伝』を最後まで見たかったというのが本音です。
では挿絵そのものを見ていきましょう。
この作品は90巻全て合わせて326図が納められています。
見開きを上手く使ったページが多く、本を縦にして画面を強調する場面も多いです。
これは武松が(兄の仇を討つため)暴れている場面ですが、縦にして落下する人の様子や建物の構造を上手く表現しています。
また『新編水滸画伝』の挿絵がのちの『椿説弓張月』にも活かされている点は興味深いです。
『椿説弓張月』は北斎と馬琴が組んだ読本の中でも大ヒットを記録した名作です。
発行は文化4年(1807)、『新編水滸画伝』初編の2年後にあたります。
『椿説弓張月」の中にはこのような挿絵が
ご、後光が大変眩しい‼️
そしてこちらが『新編水滸画伝』を代表する初編の魔星が解放される場面。
北斎は『新編水滸画伝』でいろいろなデザインを考えていたのだろうと思われます。
それらが『新編水滸画伝』ではなく『椿説弓張月』をはじめとしたいろいろな読本で活用されていると考えると、たくさんの挿絵と比べて見たくなります。
あと個人的に面白いな、と思ったのが冨嶽三十六景に近い構図の作品があることですね。
例えば梁山泊2代目首領となる晁蓋が財宝を強奪した事件。
主人公の宋江は晁蓋に追手が近づいていることを知らせるため潜伏先に馬を走らせる場面があります。
これ「冨嶽三十六景」の「隅田川関屋の里」と構図がよく似ています。
『新編水滸画伝』の挿絵は文政11年(1828)出版、対し「隅田川関屋の里」は天保2年(1831)ころに出版されています。
なので北斎は「冨嶽三十六景」の前に「馬に乗り疾走する人」をデザインしていたことになります。
北斎作品の魅力はこのような1枚1枚の絵が新作というわけでなく、万物を的確に捉え、その模写を基礎として絵を昇華させる点にあるように思います。
さまざまな問題に直面し出版された『新編水滸画伝』
挿絵のいくつかには「病床ノ画」といった文言が刻まれた絵もあり、北斎の身体に異変が起こっていた可能性があります。
ひとつのトラブルで大きく路線変更した作品ですが、読本最長作品として北斎の代表作品のひとつとなっています。
展覧会の会場には326図の一覧シールが貼り出され、すべての絵を見ることができる企画展「絵から読み解く!新編水滸画伝」。
12月31日(土)は休館になりますが、新年は1日から開館しています。
会期も残り半月、北斎が描く水滸伝のキャラクターをぜひ展示室でご覧ください。
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