スペシャルインタビュー小さな田舎町に美術館ができるまで② | 信州小布施 北斎館

スペシャルインタビュー
小さな田舎町に美術館ができるまで②2022年3月18日

 今回は、北斎館の立ち上げに尽力された飯沼正治(いいぬま・しょうじ)さんへのインタビューの第2回です。
北斎館が開館した昭和51年(1976年)当時の様子を教えていただきました。


―1960年代には海外で北斎ブームが起きました。しかし当時、小布施では北斎作品の価値があまり知られておらず、多くの作品が海外に流出してしまったとのことでした。


 そうした中で、北斎作品を保存・研究する必要を感じて、美術館をつくりたいということになりました。最初の企画展では、小布施で所蔵されていた肉筆画の他に、東京からも北斎の作品を借りて展示したんです。

―いよいよ北斎館がオープンしてみて、どうでしたか?


 あの頃は今とは違って、北斎館の周りには田んぼが広がっていました。「田んぼの中の美術館に人なんか来ない」と言われたりして(笑)。
ところが開館してみたら予想以上の反響があって、観光バスが何十台も来たんです。

―それは嬉しい誤算でしたね!


 はい、1ヶ月の会期中に3,000人を目標にしていたら、初日の7日間だけで3,000人を超えました。当時はこんなに大勢の方に来ていただけると予想していなかったので、駐車場がなくて大慌てでした(笑)。

―その後、北斎館で所蔵する北斎の作品も増えていきましたね。


 そうですね。例えば、「菊図」は北斎館がパリから買い戻した作品です。東京の画商さんが、小布施で見たのと同じ絵をパリで見たと連絡をくれたんです。

菊図(双幅)


―えっ、小布施に同じ絵があったんですか。


 北斎に絵を学んだ高井鴻山が「菊図」と似た構図で絵を描いているんです。高井鴻山は、北斎の「菊図」を模写したのでしょうね。どうやら、小布施に残っていたこの北斎の作品を、繭を仕入れにきた業者が見つけて、絹と一緒にパリに送ったようです。

―北斎館をきっかけに、小布施に縁のある北斎の作品が海外から戻ってくることもあったんですね。次回は、飯沼さんの個人が所有されている貴重な作品を見せていただきます。


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