スペシャルインタビュー小さな田舎町に美術館ができるまで① | 信州小布施 北斎館

スペシャルインタビュー
小さな田舎町に美術館ができるまで①2022年2月25日

 昭和51年(1976年)、長野県小布施町に北斎館がオープンしました。その当時、北斎館の開館に尽力されたのが、飯沼正治(いいぬま・しょうじ)さんです。
 なぜ北斎の作品を専門に扱う日本初の美術館が、人口1万人ほどの小さな田舎町に誕生したのでしょうか。立ち上げ当時を知る飯沼さんに、3回にわたってお話を聞きました。


―飯沼さんは、どうして北斎館の立ち上げに関わることになったのですか?


 北斎館の建設は、当時小布施町の町長だった市村郁夫氏の発案でした。
私はその頃、小布施町の公民館で働いていたんですが、東京の五島美術館から北斎作品の展示に協力してほしいと小布施町に依頼がきたんです。
それが小布施町で北斎の作品を見直すきっかけの一つになり、北斎の美術館をつくろうという機運が高まりました。


―飯沼さんは美術がご専門だったのですか?


 専門という訳ではないんですが、昔から美術は好きでした。
しかし、美術館をつくるにはどうしたらいいんだろうと思い、まずは北斎研究会を立ち上げることから始めました。
研究会のメンバーは、北斎に興味がある住民の人たちです。私はその事務局長をしながら、北斎関係の書籍を読みあさり、東京などで北斎展があると欠かさずに見学に行きました。


―住民の方たちと一緒に北斎について研究し始めたんですね。当時の小布施でも、北斎は人気があったんですか?


 小布施には北斎が描いた祭屋台の天井絵が残っているんですが、この作品がモスクワの北斎展で展示されて好評を博すなど、世界的な北斎ブームが起きていたときでした。
 しかし、まだ地元の人にとっては、北斎はあまり知られていない存在だったと思います。北斎の作品は一般の方のお宅の蔵などに眠っていることも多かったんですが、海外の画商がどんどん買い付けて、多くの作品が国外に流出してしまったんです。

怒濤図 男浪



―美術館をつくるのに欠かせない北斎の作品が海外に渡ってしまったんですね! そんな状況の中でどのように北斎館が誕生したのか、次回じっくり聞いていきたいと思います。



※こちらのコンテンツは、メールマガジンの内容を再編集してお届けしております。

北斎館からの葛飾北斎に関する特集記事、限定キャンペーンなどの情報配信を受け取りませんか?

カテゴリー:スペシャルインタビュー

メールマガジン登録e-mail newsletter

北斎館からの葛飾北斎に関する特集記事、限定キャンペーンなどの情報配信を受け取りませんか?