企画展「北斎と不思議な空間」が始まりました。その22021年12月10日
こんにちは、学芸員Nです。
相変わらずお気に入りの北斎画を利用。
某葛飾区のお巡りさんを意識したかのような眉毛、愛嬌あるデザイン、「着てるやん!」と突っ込まれそうな上着、豚かイノシシか?その正体はいかに?
ということで現在の展覧会のご紹介、第2弾になります。
今回は内容について触れていきましょう。
「北斎と不思議な空間」は北斎の空間表現をテーマにした展覧会です。
今回はその中でも9つのコンテンツを用意し、それぞれのテーマでご紹介しています。
①透視図法を活用する。
②すやり霞を展開する
③自然を表現する
④立体表現を先駆ける
⑤空間を想像する
⑥画面を超越する
⑦鳥目で俯瞰する
⑧失われた空間
⑨北斎 空間表現の世界 以上の内容になっています。
説明だけで相当の文字数になりそうな気配です。
最初のご紹介は①透視図法を活用する。
北斎は春朗期(20代~30代半ば)にかけて西洋画法である透視図法、いわゆる遠近法を学び、作品として世に送り出しています。
勝川春章の元、師の画法を学ぶはずが西洋画も学ぶという大胆な行動をしているわけですが、この時学んだことが後に北斎の画技として培われます。
建物が遠近感を表現し、その中心(消失点)には刀を振り下ろす男性が描かれています。
こんな感じです。
透視図法は版画作品などでよく見られますが、北斎は後に読本の挿絵にも透視図法を使っています。
こちらは『寒燈夜話小栗外伝』の挿絵の1枚。
長い廊下と奥行きある座敷が見事に表現されています。
でも読本で透視図法を用いる例は、正直あまりないんです。
どちらかというと従来の平面的な表現が多いので、この時期は画風の変化を意識していたのかもしれません。
晩年になるとこうした極端な透視図法は使われなくなりますので、若い時期ならではの描き方といっていいかもしれません。
②すやり霞を展開する、のコーナーでは文字通り「すやり霞」と呼ばれる画法で描かれた作品を紹介しています。
すやり霞は画面に差し込む雲や霞などの表現をいいます。
分かりやすくいうと狩野永徳「洛中洛外図」の屏風などがわかりやすいですね。
(狩野永徳「洛中洛外図」(右隻) wikipediaより引用)
このすやり霞という画法は大和絵で使われるものです。
北斎は30代半ばより琳派を始め他流派の画法を学んでいますので、その時にすやり霞の描き方を身に着けたのかもしれません。
そしてこの画法を頻繁に使ったのが風景版画の世界です。
葛飾北斎期の風景版画や「冨嶽三十六景」などの揃物シリーズでは、このすやり霞を用いて空間を簡略する描き方を多用しています。
展示作品である「琉球八景 粂村竹籬」はそんなすやり霞の典型的な作品。
手前と奥しか風景が見えません(;゚Д゚)
実はすやり霞には空間を省略するとともに画面を区切り、遠近感を表現するという効果があります。
何もない空間を挟むことによって手前を大きく、後ろを小さくする表現がより強調されて見えるようになるのです。
北斎の作品の魅力の一つが、この空間を省略した見せ方です。
写実的に描いた歌川広重とは対照的に北斎は空間をぼやかすことによって見る者の意識を向けさせるという、北斎流のテクニックを潜ませているのです。
(一応釈明すると北斎は写実的描写もピカ一です)
ちょっと変わったすやり霞の作品は「冨嶽三十六景 東海道江尻田子の浦略図」と『富嶽百景 文邉の不二」の2作品。
ともに東海道江尻宿、田子の浦より眺めた富士山の図です。
「冨嶽三十六景」は画面中央を遮るように雲がかけられ、上下で隔てられています。
問題は『富嶽百景』の方。
すやり霞にくずれ麻の葉の模様が描かれるという従来のすやり霞では見られないような描き方をしています。
説明すると、「江尻田子の浦略図」は歌人、山辺赤人の歌「田子の浦に うちいでてみれば 白妙の 富士の高嶺に 雪はふりつつ」をモチーフにして描かれています。
でも版元の意向があったのか、無難なデザインになってしまいました。
(だから略図ともいわれています)
「文邉の不二」はそんな「冨嶽三十六景」では描けなかった本来の「東海道江尻田子の浦」と考えられているのです。
当然すやり霞にのる人物は山辺赤人、歌人と歌の内容を1枚の絵にしたのです。
でもそのままでは違和感があるので、すやり霞を組み込み、尚且つ幻想空間を演出するためにあえて雲に模様を入れたのかもしれません。
北斎は同様の描き方を読本でも何回か使っています。
こちらは『飛騨匠物語』の挿絵。
周りに麻の葉模様を含めたすやり霞を展開しています。
いろんな空間表現があるものです。
ということで今回はここまで。
次回はセンテンス3からご紹介しましょう。
(つづく)
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