北斎の進化に 影響を与えたものとは? | 信州小布施 北斎館

北斎の進化に 影響を与えたものとは?2024年8月16日

 生涯3万点もの作品を残したという北斎が、絵師として本格的に歩み始めたのは19歳のときでした。人気浮世絵師・勝川春章の弟子になると、その翌年に勝川春朗の名で浮世絵界に登場します。本来であれば師のもとで数年は画技を磨くところ、異例の早さでのデビューでした。

 そこから約15年、北斎は勝川派の一員として浮世絵を制作しながら、様々な画法を習得し、自らの絵を進化させていきます。なかでも、西洋絵画に対する関心が高かったようで、「浮絵一ノ谷合戦坂落之図」のように透視図法(遠近法)を使った作品も発表しています。

「浮絵一ノ谷合戦坂落之図」


  北斎は、それ以降も積極的に西洋絵画の画風を取り入れた作品を発表。その経験が、後の代表作「冨嶽三十六景」シリーズなどを生み出す土台になりました。伝統的な浮世絵界に身をおきながらも幅広い画法を学ぶことを許されていたのは、北斎の才能を認めていた師匠の存在があったからではないでしょうか。

 他にも「冨嶽三十六景」シリーズの制作に大きな影響を与えたものがありました。河村岷雪(みんせつ)が描く富士101図が収載された絵本『百富士』です。岷雪が若かりし頃に旅先の風景を描いたもので、北斎も「冨嶽三十六景」を制作する際に参考にしていたと考えられています。

河村岷雪『百富士』「程ヶ谷」


葛飾北斎『冨嶽三十六景』「東海道程ヶ谷」


 二つの作品を見比べると、構図が似ていると思いませんか? 江戸時代は、他の作品を模倣したり、参考にしたりすることはよくあることでした。北斎も様々な作品や資料を参考にしながら、自分流にアレンジして作品を制作していました。

 「良い芸術家は真似る。偉大な芸術家は盗む」これは、20世紀を代表する画家であるパブロ・ピカソが残した言葉です。北斎もまた、様々な作品を模倣しながら、独自の表現を磨いていった稀代の芸術家の一人だといえるかもしれません。 

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