北斎が描いた天井絵の謎をひも解く 著者インタビュー | 小布施 北斎館

北斎が描いた天井絵の謎をひも解く 著者インタビュー2026年7月17日

 北斎館では、開館以来、北斎研究を重要な活動の柱の一つとしてきました。2007年には北斎研究所を設立し、研究紀要の発行や研究発表会などを通じて研究成果を積み重ねてきました。

このたび、北斎研究所の設立当初から研究員として「北斎の天井絵」を研究してきた竹内隆さんがその研究成果をまとめた書籍『北斎が描いた天井絵の謎 ―浪図に描かれた富士―』が刊行されました。

 信州・小布施に滞在した晩年の北斎が祭屋台に描いた天井絵。その絵を取り巻く様々な謎をひも解く本書についてお話を伺います。




―研究テーマとして、北斎の天井絵を選ばれたきっかけを教えてください。

竹内:私はもともと美術史の専門家ではなく、社会科教員として勤務しながら郷土史の編纂にも携わっていました。北斎研究所の設立時に、当時の館長から研究員にならないかと声がかかりました。何を研究しようかと考えたとき、地域の宝である上町祭屋台と東町祭屋台の天井絵がいいのではと思いました。調べれば調べるほど、天井絵には謎と魅力があることがわかってきました。




―本書では「陰陽」という考え方にも注目されています。

竹内:小布施の伊勢町には、皇大神社という神社があります。地元では「だいじぐ(大神宮)さん」と呼ばれて親しまれています。ここに二度お参りすれば伊勢参りと同じご利益があるといわれ、近隣からもお参りに来るような神社でした。

 伊勢神宮は陰陽説とも深い関わりがあります。古代中国から伝わった陰陽説では、「太一」という万物の根源を表す考え方があります。伊勢神宮の祭事のときに関係者が太一と書かれたはち巻きや法被を身につけるなど、伊勢神宮が陰陽説を受け入れたことが読み取れます。伊勢神宮の祭神を祀っている皇大神社にも同様のことがいえます。

 江戸時代に伊勢町ではこの皇大神社の祭礼で曳く二階建ての屋台が製作され、正方形の天井絵を二面並べる独特の構造でした。その天井には円形の龍が配され、陰陽説を背景とした表現がされています。その20年後に製作される東町と上町の祭屋台も同じ構造をしています。東町祭屋台では龍と鳳凰が、上町祭屋台では男浪と女浪が描かれました。この二面構成には、陰と陽の考え方が現れているのではないかと思います。


―本書では、より詳しくそれぞれの絵の構図を陰陽という切り口から分析されていますね。海がない信州・小布施ですが、北斎はなぜ波を描いたのでしょうか。

竹内:その背景には、北斎に絵を依頼した髙井鴻山の存在があったと思います。私は『神奈川沖浪裏』に強い感銘を受けた鴻山さんが、海のない信州の人々に、大海原の力強さや自然の雄大さを伝えたいという思いがもったのではないかと考えています。
波や水というと、はかないものや災害を連想する人もいますが、私はむしろ、北斎の波は人を鼓舞する自然の大きなエネルギーの象徴のように思います。




―研究を通して、北斎にどのような魅力を感じていますか。

竹内:私は北斎作品の魅力を「サプライズとユーモア」だと思っています。作品の中には、一見すると気づかない仕掛けや見立てがたくさん隠されています。見る人が「どうなっているんだろう」と考え、発見する楽しみがある。
また、北斎は最後まで市井の人として生きた人物でした。常に新しいことに挑戦し、自分の仕事に妥協しない。そして、90歳まで描き続けた。そうした生き方そのものに大きな魅力がありますね。


―北斎の姿は、地域に根差しながら長年研究を続けてきた竹内さんご自身の姿勢に重なるようにも思います。ありがとうございました。



 晩年の北斎が祭屋台に描いた天井絵。その背景には、地域の歴史や信仰、そして陰陽思想との関わりが秘められていました。本書では、長年にわたる調査研究をもとに、それらの謎を一つひとつ丁寧に読み解き、大胆な発想や独自の解釈を交えて北斎の姿に迫っています。

 北斎作品はもちろんのこと、地域の歴史や信仰に関心がある方にも楽しんでいただけましたら幸いです。ぜひご一読ください。



北斎が描いた天井絵の謎に迫る 長年の研究の集大成を1冊に
書籍「北斎が描いた天井絵の謎
ー浪図に描かれた富士ー」


カテゴリー:スペシャルインタビュー

メールマガジン登録e-mail newsletter

北斎館からの葛飾北斎に関する特集記事、限定キャンペーンなどの情報配信を受け取りませんか?