北斎館収蔵「祭屋台」大解剖⑦

遠近法と油彩画の技で
大胆かつモダンに

江戸の人々は花や緑が大好きで、江戸時代後期には園芸ブームが巻き起こりました。上手に育てるための技術が書かれた園芸書や、植物の生態を記録した図鑑、花の名所を描いた浮世絵が出版されました。

菊の栽培は、もともと武士たちが内職で楽しんでいましたが、江戸時代には庶民にも広まり、より美しい花を咲かせようと、競うように品種改良が行われました。

北斎先生が晩年に描いた左右一対のこの掛け軸には、巴錦ほか、たくさんの品種が描かれています。細かな線描と配色の濃淡で立体感と遠近感がよく表され、大胆な構図で美しい花の姿が見事に描かれています。


上町祭屋台編

上町祭屋台は、1階に囃子方が入り、2階は飾り舞台として仕立てられています。ここには、中国の小説『水滸伝』に登場する武将、皇孫勝と、彼が呼び出した応龍の立体彫刻が飾られています。

この彫刻は、北斎先生がプロデュースした唯一の立体作品です。

 


皇孫勝は
『水滸伝』の登場人物


『水滸伝』は、中国で明の時代(1368〜1644年)に書かれた全120巻にもおよぶ長編の歴史小説で、『西遊記』などと一緒に中国四大奇書の一つとされています。魔王の生まれ変わりである108人の「好漢=気性のさっぱりとした男」たちが、乱れた世の中を正すため、水の滸りの地「梁山泊」に集まって戦いを繰り広げるという物語です。皇孫勝は好漢のひとりで、梁山泊では副軍師を務めました。

上町祭屋台の立体彫刻では、彼が剣を抜いて呪文を唱え、応龍を呼び出し、その応龍を自在に操る姿が彫られています。眉をつり上げた皇孫勝のけわしい表情。そして恐ろしげな目をした応龍が巻き起こす風によって起こる大波を天井絵であらわし、ドラマチックな小説の一場面がみごとに表現されています。

皇孫勝は
7回も作り直された

北斎先生は、文化2(1805)年に曲亭馬琴とともに作った読本『新編 水滸画伝』では挿絵を手がけ、108人の好漢を劇的な表現で描いています。

上町祭屋台の制作に取りかかったのは、弘化2(1845)年のこと。天井絵の完成に1年、彫刻の完成までには3年かかりました。そしてその費用はすべて高井鴻山が負担しました。

皇孫勝は旧高井村(現在の高山村の一部)の彫師、亀原和田四郎 嘉博が、応龍は江戸の人形師、松五郎が手がけました。嘉博は、江戸時代中期に現在の長野県北信地域で四代にわたって活躍した宮大工の三代目です。北斎先生は、嘉博に7回も作り直しをさせたというほど、この彫刻には力を注ぎました。

皇孫勝像には欅の木を使い、岩は大鋸屑を固め、そこに色をつけて表現しています。

北斎先生はやっと満足のいく仕上がりとなったとき、ささやかなお祝いをしたいと高井鴻山に申し入れました。
その手紙が残されています。


北斎先生から「旦那様」へ
楽しいイラスト入りの手紙

亀原和田四郎 嘉博が彫り上げる皇孫勝に、北斎先生は何度もダメ出しをしました。とうとう彫り上がったことを祝って、「豆腐と卵くらいで一杯やりたい」と、“旦那様”こと高井鴻山に宛てて書いたイラスト入りのユーモアあふれる手紙が残っています。後ろ姿で描かれたのは、嘉博と、応龍を手がけた江戸の人形師、松五郎、そして左端の白髪頭が北斎先生です。

【手紙の内容】

皇孫勝が今日できあがりました。関わった人たちで今晩、棟上げのつもりで一杯やりたいので、お聞き済みを願いたい。豆腐に卵くらいで結構なので、どうかよろしくお願いします。