北斎館収蔵「祭屋台」大解剖④

東町祭屋台編

【欄間と妻飾り】

北斎先生が描いたみごとな「龍」と「鳳凰」図を天井絵に持つ、東町祭屋台は、江戸時代後期の文化3(1806)年に造られた小布施でもっとも古い屋台です。

その後、天保( 1844)年に小布施の豪農商高井鴻山が、この屋台を改築するとき、北斎先生にお願いして、「龍」と「鳳凰」図を描いてもらったことは前号でお話ししました。

今回は、この屋台の欄間や妻飾りを彩る彫刻類について、詳しくお話しします。


 北信一の宮大工・
亀原和田四郎嘉博が製作

欄間とは、日本の伝統的建築様式の一つです。

和室を仕切る壁の上部に光を通したり、換気のために天井と鴨居と呼ぶ横木との間に開口部を設けますが、そこに障子戸や格子戸、あるいは透かし彫りという技法を用いた彫刻でできた板をはめこむ部分を指します。

東町祭屋台の欄間を飾る彫刻は、現在の上高井郡高山村出身の宮大工(神社やお寺の建築彫刻を専門とする大工さん)三代亀原和田四郎嘉博(1798〜1870年)が制作した物です。

亀原和田四郎は4代続いた名門の宮大工で、この三代目嘉博は、善光寺山門の彫刻や高山村の高杜神社の彫刻、須坂市の浄運寺本堂の欄間彫刻などを制作しました。

このように当時一流の絵師北斎先生と一流の宮大工によって、東町祭屋台がつくられたことは、東町の人々たちの祭屋台へ寄せる並々ならぬ決意を感じ取ることができます。

唐子と仙人のめでたい欄間彫刻

それでは欄間彫刻を詳しく見てみましょう。

屋台の2階部分を取り巻くように、緑や赤、黄色で彩色された木々や花の合間に唐子(中国の幼い子どもたち)が楽しげに遊んでいる姿が彫刻されています。
なぜ唐子なのでしょうか。
江戸時代は、人々が生きる上でよりどころとした思想は中国から伝わった儒教思想と言われる考えでした。したがって人々の生活や文化、政治の世界などあらゆるところに中国の影響が現れていました。

ですから東町祭屋台にも北斎先生の「龍」「鳳凰」という中国の伝説上の生き物が描かれ、欄間にも唐子の姿が彫刻されるという全体に唐風(中国風)の仕上がりになっています。

まず屋台前部の欄間には、楽しそうに遊ぶ唐子の群像が彫刻され、上段には七福神の布袋様を囲む唐子たちが描かれています。回りには牡丹が見えます(①)。前部から見て右側の欄間は桜の下で語り合う唐子の姿が彫られています。唐子のやさしい顔と桜から、春の暖かさを感じることができます(②)。

次に前部から見て左側の欄間には、秋でしょうか、赤や黄色の菊をつむ唐子の姿があります(③)。後部には、波頭をけって舞う龍と戦う中国の武将の姿が彫られています(④)。さらに松の下で水仙の花をつむ唐子が見られます(⑤)。

驚くのは、表面だけでなく、欄間の裏側にもしっかりと表面の背後の姿が彫られていることです。これは立体的な両面彫りと呼ばれる彫刻です。

欄間彫刻全体があざやかな色合いとふくふくとしたかわいい唐子たちを用いたことによって、見る人の目を楽しませてくれると同時に、北斎先生の描いた「龍」「鳳凰」図が一層引き立つ効果がうかがわれます。

縁起のよい妻飾りの応龍

縁起のよい妻飾りの応龍  妻飾りの「妻」とは、日本建築で、屋根の長い棟と直角な面を言います。つまり家の正面に対して側面を指しますが、側面に玄関などを持つ造り方を「切妻造」と言います。

したがって東町祭屋台は「切妻造」と言ってもいいわけです。「唐破風」と呼ぶ、屋根の妻側が普通は三角形になるのですが、その真ん中が曲線になって持ち上がり、左右両端が反り上がる形になっています。

この唐破風の下に「応龍」(右)と「龍」(左)の彫刻が施されています(⑥)。「応龍」や「龍」は、麒麟・鳳凰・霊亀とならぶ中国の縁起のよい伝説上の生き物です。「応龍」「龍」とも、体が緑色で、赤色の焔に包まれています。豪華な妻飾りです。