北斎館収蔵「祭屋台」大解剖②

潮干狩り

潮干狩りお年寄りから 子どもまで楽しむ潮干狩り

 

磯の香りが漂う涼しそうな海辺、遠くに富士山が見えます。
海辺では潮干狩りを楽しむ人々の姿が生き生きと描かれています。

打ち寄せる波の音、子どもたちの喜びはしゃぎ回る声が聞こえてきそうな躍動感にあふれた絵です。
手前とその向こうの干潟で潮干狩りをする人々、さらに四本の松の木、山ふところの入江には、舟が浮かび、遙か洋上には帆船も見えます。

このように一枚の絵の中に近くから遠くまでの風景を描く技法を遠近法と呼び、北斎先生はこの技法を得意としていました。
潮干狩りは春の行事ですが、夏休み間近の皆さんは、海水浴を楽しみにしている人も多いことでしょう。

思いきり海で遊んできてください。

 


東町祭屋台編

昔は小布施の皇大神社で「祇園祭」という夏祭りがあって、小布施の町中をたくさんの祭屋台が練り出し、大変にぎわいました。
全部で7基あった祭屋台のうち、2基が北斎館に収められています。今回はそのうちの東町祭屋台を大解剖します。


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東町の祭屋台は、江戸時代の文化2(1805)年に町のみんなが力を合わせて再建したもので、小布施に残っている7基(中町、伊勢町、横町、福原、六川、東町、上町)のうち、もっとも古い祭屋台です。

その後、天保15(1844)年に改造されるとき、小布施の人たちの意見を聞いて、高井鴻山が北斎先生に天井図を描いてほしいとお願いしました。この依頼を受けて、北斎先生は85歳で小布施を訪れ、約半年をかけて「龍」と「鳳凰」の二図を描きあげます。

屋台そのものは、越後国(現在の新潟県)の大工棟梁、栄太郎が手がけました。この東町祭屋台は、長野県宝に指定されています。

天井図とともに注目したいのが、欄間です。全体に唐(中国)風の彫刻で飾られていますが、これは高井野村(現在の高山村)の宮大工の三代目、亀原和田四郎 嘉博が手がけました。亀原和田四郎は、江戸時代中期に長野県の北信地域で四代にわたって活躍した宮大工です。善光寺山門の彫刻は、三代目の嘉博がつくったといいます。

◎唐破風
「破風」は、屋根の妻側(三角形の部分)のことです。「唐破風」は、普通は三角形になる真ん中が曲線になって持ち上がり、左右両端が反り上がっています。お寺や神社、お城などによく見られます。

◎欄間
和室の仕切り壁に、光や風をとおすために格子や透かし彫りが取りつけてあるところです。極彩色のあざやかに彩色された中国風の彫刻が取りつけられています。

◎天井図
北斎先生が描いた肉筆画の傑作です。
「龍図」は、中国の伝説上の生き物です。身体は大きなヘビに似て、全身がウロコでおおわれ、4本の鋭い爪を持つ足、2本の角、長い口ヒゲ、おそろしげな目をもっています。北斎先生は海上を波しぶき立てながら、巨大な龍が紅の空いっぱいに飛び回る姿を描いています。とぐろを巻きながら空を飛ぶ勇ましい姿は見る者を圧倒します。
「鳳凰図」は、同じく中国の伝説上の霊鳥です。現代でいえばフェニックスです。クジャクに似た姿をもち、平和や幸せのシンボルとされる鳥です。北斎先生は「龍図」とは正反対に暗い色の地に、緑色や黄金色、赤色、青色などあざやかな色を使って、鳳凰が華麗に羽ばたく姿を描いています。
そしてこの二図は、祭屋台の天井で互いに見つめ合うように配置され、豪華な雰囲気をただよわせています。

◎虹梁
虹のような曲がった形の梁。きれいな模様がつけられています。

◎妻飾り
前後とも緑色の応龍。応龍は麒麟、鳳凰、霊亀と並び、「四瑞」と呼ばれる縁起の良い中国の伝説上の生き物です。

◎垂木
細い木をたくさん並べて、屋根の重さを支えています。

◎二階
舞い方と呼ばれる女性が踊りを披露する、手すりつきの舞台です。

◎斗組
斗と肘木という部材を組み合わせて、上からの重さを支えます。

◎一階
笛を吹き、太鼓や鉦をたたいたり、三味線などをひく囃子方と呼ぶ人たちが入ります。周囲の窓には簾が下げられます。

◎台車
屋台を支える台車は二輪で、前には太い綱をつけて引っ張ります。後や左右には押し棒や、向きを変えるための舵棒が取りつけられます。