北斎先生の絵をテーマ別に見てみよう④

「品川御殿山花見」

品川御殿山花見

東海道品川宿の高台にはかつて将軍家の品川御殿がありました。

八代将軍、徳川吉宗によって園地として整備され、庶民にも公開されました。

江戸のガイドブック『四時遊観録』では、御殿山は海を望む花見の名所として紹介されています。

北斎先生が60代で描いたこの肉筆画は、左右1.5mにもおよびます。

海に浮かぶ船、品川宿の瓦屋根の家並、そして丘の上で花見を楽しむ人々の浮かれた姿が細密に描かれています。

品川御殿山花見

品川御殿山花見

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北斎先生は絵本『富嶽百景』のあとがきで「73歳になってようやく動物や虫や魚の骨格や、草木がどのように生えているか少しわかった」と書いています。

『北斎漫画』でもたくさんの動物や植物を描きました。北斎先生の描く生き物たちは、生き生きとした躍動感にあふれています。


花鳥画に優れた
2代目宗理を襲名

logo_27_05江戸時代初期に京都で活躍した俵屋宗達と、彼に影響を受けた尾形光琳によって完成された「琳派」は、江戸の絵師たちにも強い影響を与えました。

なかでも酒井抱一が有名ですが、花鳥画を得意とした絵師に俵屋宗理がいます。

北斎先生は、勝川春朗を名乗っていた頃から琳派を学び、勝川派を離れた後に二代目俵屋宗理を襲名します。

「梅下の鶴」は、師である初代俵屋宗理の作品です。梅の花がほころんで、旅立ちの時が近づいたのでしょうか。

鶴は早春の空を見上げています。

 

logo_27_06「白蛇と雀」では、鍬の柄の先にとまった雀を、白い蛇が狙っています。

ウロコの一枚一枚まで丁寧に描かれた蛇の不気味さと、その蛇に気づかぬのんびりとした様子の小雀。

音もなくするすると柄をのぼる蛇の様子が伝わってくるような画面です。

同じような構図の絵は『肉筆画帖』にも見られますが、どちらも緊迫感あふれる一瞬を切り取っています。

 

 

 


躍動感あふれる
生き物の姿

鷹匠の鷹

鷹匠の鷹

肉筆画全10図が収められた『肉筆画帖』は、版元の西村屋与八から売り出されました。

北斎先生が70代の頃です。

天保の大飢饉によって版元たちも休業状態。

一計を案じた北斎先生は、店先で肉筆画をいくつも描いて販売し、なんとか餓死をまぬがれたともいわれています。

獲物を狙う荒々しい鷹の姿、川を泳ぐ鮎と散る紅葉、おとぎ話を題材にした舌を切られた雀の姿。時に奇抜ともいえる画面のなかに、生き物の躍動感や生命力があふれています。

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北斎先生は、日本だけでなく中国の伝説や古典にもくわしく、80代になると、これらを題材にした多くの作品を描きます。

なかでも最晩年90歳で描いた「鍾馗」は、北斎先生の絵描きとしての集大成ともいえる傑作です。


厄除けや長寿の
願いを込めて

logo_27_09立て膝姿のお釈迦様が、左の足裏にお灸をすえています。

法衣の胸がはだけて蓮華座にくつろいだ姿は、どこかユーモラスで親しみを覚えますが、背後に輝く光背が、その高潔さを伝えています。

 

 

 

 

 
logo_27_08「寿老人」は七福神のひとり。

長い額、伸びたひげ、大きな福耳。長寿と健康をもたらす姿が、靴先の赤色だけをポイントに、墨の濃淡で描かれています。

 

 

 

 

 

logo_27_10北斎先生が90歳で描いた「鍾馗」は、唐の時代(618〜690年)の中国に実在した人物といわれています。

言い伝えにより厄除けや学問の神様とされるようになりました。

日本では、端午の節句に鍾馗を描いた幟や人形を飾り、子どもの健やかな成長を願う風習が今も行われています。

北斎先生は晩年になって、物語や言い伝えを題材にした絵を多く描きました。縁起ものや厄除けの絵に、自らの長寿の願いを込めていたのかもしれません。