旅する北斎④

猿橋橋上角兵衛獅子「猿橋橋上角兵衛獅子」

橋の上を笛や太鼓を奏でながら軽やかな足取りで行く角兵衛獅子の一行。

角兵衛獅子とは、新潟市南区(旧西蒲原郡月潟村)を発祥とする郷土芸能で、越後獅子あるいは蒲原獅子とも呼ばれます。7歳以上14歳頃までの少年が獅子頭をかぶり、街角で逆立ちやとんぼ返りなどのアクロバットを演じます。

また「猿橋」は山梨県大月市猿橋町の桂川に今も架かる橋で、橋脚を立てずに橋を支える複雑な構造の「刎橋」です。樹木の点描や堤の描写も北斎先生ならでは。

不思議な形の橋は一部しか描かず、欄干も描かれていません。今まさに一行は曲芸をしながら渡り切ろうとしています。

 


旅する北斎④甲斐の国、信州木曽・諏訪の巻

旅のシリーズ第四回は山梨県、昔は「甲斐」あるいは「甲州」と呼びました。北斎先生の足取りは定かではありませんが(何しろ先生、旅の記録というものをあまり取らなかったので)、甲斐の国を描いた作品はたくさん残されています。

そしていよいよ信州へ入り、旅も終盤を迎えます。


甲斐の国の風物とさまざまな裏富士

伝神開手北斎漫画 十三編北斎先生が甲斐の景色や暮らしの様子を描いた作品はたくさん残されていますが、先生が甲斐の国を訪れたという記録は見つかっていません。

しかし北斎先生が描く題材は、地元の人しか知らないような内容が多く、その土地ならではの風物がたくさん取り上げられています。

諸国をめぐり歩いてはスケッチをしていた北斎先生のこと。甲斐の国を実際に歩いてまわったことも大いに考えられます。

冨嶽三十六景 甲州三島越さて、駿河(現・静岡県東部)から見る富士山を「表富士」と呼ぶのに対し、甲斐からの富士山は「裏富士」と呼ばれていました。

『冨嶽三十六景』で描かれた甲斐の国の風景は、「甲州三坂水面」「甲州三島越」「甲州石班澤」「甲州犬目峠」「甲州伊沢暁」「身延川裏不二」があります。
いずれも山間や渓谷から富士山の姿を現すような場所ばかり。突然現れる富士山は、多くの旅人の心を動かしたことでしょう。

 


屋台飾り幕は先生が描いた?

都留郡谷村(現・都留市)で旧暦8月1日(現在は9月1日)に行われる八朔祭では、屋台が町をめぐります。その下町の屋台を飾る後幕は、北斎先生が描いたと伝えられています。緋色の生地は羅紗地という厚手の毛織物で、それを黒いビロードで縁取ってあります。刺繍で虎と竹林、水の流れが表され、虎の目にはガラス、牙や爪には銀メッキした真鍮が使われています。

ほかに下町の舞台下を飾る泥幕の「注連縄図」、早馬町の後幕には「牧童牛の背に笛を吹く」、新町の後幕の「鹿島踊」が、落款はないものの北斎先生が下絵を描いたと伝えられています。

八朔祭屋台後幕「竹に虎図」


いよいよ信州諏訪、そして木曽へ

諸国瀧廻り 木曽街道小野ノ瀑布諏訪湖を描いた作品では「冨嶽三十六景 信州諏訪湖」が有名ですが、『北斎漫画』に描かれた「信州諏訪湖氷渡」の図では、雪をかぶった富士山を背景に氷った湖の上を歩く人が描かれていて、当時の様子がわかります。

「諸国瀧廻り」あるいは『北斎漫画』では、木曽路の「小野の滝」が描かれています。この滝は名勝「寝覚の床」の近くにあって、現在も豊富な水量があり、御嶽信仰の行者にとっては水行の場でもありました。

また、北斎先生は版画で、鳥瞰図と呼ばれる空から見おろした構図の絵地図を手がけています。

そのうちのひとつ「木曽路名所一覧」では、江戸を左下に、京都を上部中央に置き、中山道の木曽十一宿を中央に描いています。周囲の地名や名所が細かく描き込まれた絵地図に圧倒されます。


冨嶽三十六景めぐり⑧


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