旅する北斎②

諸国瀧廻り 相州大山ろうべんの滝

諸国瀧廻り 相州大山ろうべんの滝暑さを吹き飛ばす涼しそうな滝の絵です。

旅に簡単には出かけられなかった江戸庶民のためにも嬉しい「諸国瀧廻り」――日本各地の滝を描いた八枚のうちの一枚が神奈川県伊勢原市の大山にある「ろうべんの滝」です。
何日も歩いて到着した大山詣の人々は、お参りする前に大山の開祖・良弁にちなんで滝の水で身を清めるのが習わしでした。

このシリーズで北斎先生は、滝ごとに異なる水の落ちるさまを描くとともに、そこに居合わす人々の表情やしぐさにも目を注いでいます。


旅する北斎② 房総・三浦半島の巻

北斎先生が描いたたくさんの絵の中でも海の様子を描いたものは特に印象的です。
旅のシリーズ第二回は、先生が住む江戸から徒歩数日で、おだやかな内海だけでなく、外海も見ることができる房総半島・三浦半島への旅をとりあげます。

 「見たい!描きたい!」思いついたら即実行!?

潮干狩千葉県木更津市の日枝神社に北斎先生作の大きな絵馬「富士の巻狩図」があります。文化3年夏、木更津の少し手前、畳が池あたりで先生は絵筆を動かしていました。
先生の筆遣いに感心した村の名主は、襖絵などとともに奉納絵馬を描くことを先生に頼んだそうです。そのとき描いた肉筆画で今残っているのは「富士の巻狩図」だけです。このとき先生は47歳でした。

そのころ先生は読本の挿絵を描く仕事でとても忙しい時期でした。にもかかわらず、出かけたのは、なぜでしょう?

絵師が旅に出る理由は仕事がらみか、どうしても見たい、描きたいものが〝そこ〟にあったからでしょう。

一説には、千葉県いすみ市にある行元寺の欄間に、「波の伊八」といわれた名彫師の波の彫刻があり、それを見にいったのではないか、といわれています。すごい波の彫刻だといううわさを聞き、いても立ってもいられなくなった先生、お寺で欄間を見て、本物の荒海を見に、房総半島の突先まで行ったかもしれません。大きな波のうねりや砕け散る波頭を見ながら、筆を動かしたことでしょう。
「波の伊八」の彫刻に大きな影響を受けた先生は、その後、「冨嶽三十六景」シリーズで、傑作「神奈川沖浪裏」を描きました。房総半島の旅から25年後、72歳のときでした。

北斎先生が木更津方面に旅をし、神社の絵馬に描いた「富士の巻狩」とは、鎌倉幕府をつくった源頼朝が建久4(1193)年に富士山の裾野でおこなった大規模な巻狩にちなんでいます。巻狩とは、鹿や猪などを四方から追い込んでおこなう狩りのことです。富士の裾野では人や馬が駆け巡り、その背後には富士山が雄大な姿をあらわしています。
絵馬には「画狂人北斎旅中画」とサインされています。


空から見下ろす鳥にならないと描けない絵!?

冨嶽三十六景 登戸浦先生はその後も房総半島を訪ねたり、三浦半島の浦賀にひそかに住んだこともありました。
自ら歩いたからこそ、ここまで描けたと思わせるのが鳥瞰図「総房海陸勝景奇覧」です。房総半島から江戸湾(今の東京湾)、そして三浦半島にかけて、まるで鳥が空から見下ろすような見方で描いた大パノラマ図です。
また、地名や山・川の名、名所などが正確に書き込まれ、当時の地理が一目で分かります。絵師としての才能ばかりでなく、地理もくわしい先生の博学ぶりに驚かされるばかりです。

総房海陸勝景奇覧絵図が描かれてから二百年以上たつ私たちが目をこらして見れば、例えば登戸(「冨嶽三十六景 登戸浦」)、江ノ島(「同 相州江の島」)、それから木更津はもちろん、何と絵馬を描くきっかけとなった「たたみが池」の地名まで、書かれています。
海や港に浮かぶ何艘もの船、また点線で船の航路も示されています。この絵を見て、「冨嶽三十六景 上総ノ海路」を思い浮かべる人もいるかもしれません。
先生の旅の絵はおもしろくて、見飽きません。ぜひ北斎館で「総房海陸勝景奇覧」や浮世絵などの本物にふれて、北斎先生の旅を楽しみましょう。


冨嶽三十六景めぐり⑥