北斎漫画大特集①

 みなさんは、マンガを読んでいますね。子どもはみんなマンガが大好き。お父さんやお母さんから「マンガばかり読んでいないで、勉強しなさい!」って怒られませんか?
でもマンガっていろいろなことを教えてくれるよね。マンガの絵は、その場の状況を文字で説明するより、迫力を持って教えてくれるよね。だから、絵の持つ力ってすごいんだということがわかりますね。

 そんな絵の力を思う存分に使った北斎先生の代表作を知っていますか? それが『北斎漫画』です。でも北斎先生の漫画は、みなさんの好きなマンガとちょっと違います。それでは、きょうは『北斎漫画』ってどんなものかを勉強してみましょう。



 『北斎漫画』は、北斎先生が「森羅万象(地球をふくめ宇宙のありとあらゆるもの)を気の向くまま、筆が進むまま描いた」と言っているように、絵を描く人たちのためのお手本になるように、人物や自然のもの、風景などを一つひとつ描いた絵の百科事典です。ですから皆さんの読む現代のマンガのように物語(ストーリー)はありません。同じ「まんが」ということばが使われていますが、まったく違うものです。

 ただ、『北斎漫画』の一つの絵がおもしろかったり、こっけいであったりするのは、絵が持つ力で、現代のマンガにも言えることです。皆さんも、『北斎漫画』をお手本にして、先生の絵を真似してたくさん描いてみましょう。きっと絵が上手になりますよ。

 



 『北斎漫画』は、北斎先生が「戴斗」という名を名乗った文化九(一八一二)年に、名古屋の門人宅で描いた約三〇〇図余りの絵を元にして、文化十一(一八一四)年に絵手本として発刊されたものです。ちなみに正式な題名は『伝神開手 北斎漫画』といいます。

 その後、この絵手本は大変評判を呼び、その続編が次々と出版され、ついには先生が亡くなられた後の明治十一(一八七八)年まで、全部で十五編が発刊されました。この十五編に収められた絵の総数は約三九〇〇余図にもおよんでいます。『北斎漫画』は明治時代に入っても大ベストセラーになりました。

 



 みんなが読むマンガとは違い、『北斎漫画』は絵手本と呼ばれ、先生の門人や絵を学ぶ人のために先生がデザインや図案をまとめた本です。絵の教科書と言ってもいいでしょう。

 その内容は、人のさまざまな姿・動植物・風景・日本や中国の歴史上の人物・生活道具・妖怪変化などありとあらゆるものが描かれています。

 



 文化年間の前半、北斎先生は読本の挿絵や肉筆画を描く仕事を多く手がけています。例えば歴史物の「鎮西八郎為朝」や美人画の「雪中傘持美人図」「七小町屏風」などがあります。ところが文化九(一八一二)年、先生は名古屋に滞在して、『北斎漫画』の下絵の制作に情熱を傾けます。

 読本挿絵で全国に北斎先生の名が知れ渡り、先生の門人も広く全国にできるようになると、先生は門人たちに手本となる絵をいちいち描き与えなければならず、その煩わしさが増えたこと、また先生を尊敬する人びとが増えてきたことで、全国に葛飾派の画風を広めようとしたことなどから、先生はその手本となる『北斎漫画』を発刊することで、問題を解決しようとしたと考えられています。

 


 北斎先生の絵は、ヨーロッパ印象派の画家たちに大きな影響を与えたと言われています。そのきっかけをつくったのが、この『北斎漫画』です。天保三(一八三二)年、長崎・出島のオランダ商館に勤務したドイツ人医師シーボルトが、その著書『日本』の挿絵に『北斎漫画』を使用しました。

 さらに安政三(一八五六)年、フランス人ブラックモンがパリの画家たちに同書を紹介し、その描画の巧みさと多彩さに彼らを驚かせ、大きな影響を与えることになったのです。海外では『北斎漫画』を「ホクサイスケッチ」と呼び、高く評価しました。