北斎の周囲にいた浮世絵師たち③

「馬」

伝神開手北斎漫画 六編『北斎漫画』(全15編)は出版されるごとにベストセラーになり、ヨーロッパの画家たちにも驚きを与えたという画集です。
一冊ごとにテーマがあり、この六編は馬術をはじめ、さまざまな武術の様子をくわしく描き写しています。
馬を馴らすところから始まり、馬具に至るまで馬に関する絵をいっぱい見ることができます。

北斎先生の絵から“馬力”をもらって午年の一年を健康に過ごせますように。


北斎先生 パワフルに絵を描き続ける

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勝川派絵師としてデビューした後、北斎先生は次に琳派に連なる俵屋宗理という名を継ぎつつ独自の画風を模索してきました。

今回は、その後のお話。どの画派にも属さず、人気絵師となっても、ひたすら画業前進あるのみの北斎先生を紹介します。

 

 


一、同時代に、あの写楽も歌麿もいた!

logo_16_04世は松平定信による「寛政の改革」の時代 ── 読本作家の山東京伝は手鎖(手錠のこと)50日を言い渡され、版元の蔦屋重三郎は幕府に財産を半分没収されるなど、出版界は窮地に至っていました。
それを救ったのが美人画の絵師として名を残す喜多川歌麿であり、特異な役者絵を次々発表する東洲斎写楽(後に突然姿を消す謎の絵師)でした。復活した蔦屋は北斎先生にも狂歌関係の摺物を発注してくれます。

狂歌絵本の世界においては新人の北斎先生にとって歌麿や写楽はライバル、また、京都からは写生的画風の円山応挙一派や狩野派絵師たちの活躍ぶりも北斎先生の耳に入ってきたことでしょう。
北斎先生、一大決心の事を起こします。


北斎先生 自然を師とする!!

巻物と亀琳派・俵屋宗理という号(名前)を弟子の宗二に譲ったのです。次の名は、どの絵師にも属さない名前・北斎!

北斎先生は版元や知り合いに絵入りの改名通知の摺物を配りました。どんな絵かというと ── 写実的な亀三匹。
そして自分で付けたサインの下にはくっきり「師 造化」と落款(はんこ)が押されています。
それらが意味するところは ── 天の北斗七星に誓って画業に専心誠意を尽くし、私の絵の師は造化つまり自然の中にある!

北斎先生はまた一歩、先の世界を切り開いたのでした。

 


北斎先生がさし絵を描く「読本」が大人気!

鎮西八郎為朝外伝 椿説弓張月摺物が効を奏したのでしょうか、版元の角丸屋からは小枝繁の『絵本東嫩錦』、平林堂からは滝沢馬琴の『椿説弓張月』など、読本さし絵の仕事が北斎先生のところに舞い込みます。
(さし絵が多く、文字が少ない本を「絵双紙」と呼ぶのに対し、読むことを主体にしたものが「読本」。江戸時代後半になると寺子屋に加え、庶民相手の手習い塾ができたため、読本、それも長編ものの読み手が増えたのでした。)

たくさんの読本絵師が競い合うなか、臨場感あふれる北斎先生の絵は大評判、その証拠に「○○作 北斎画」の読本は文化期の10年間に190冊以上も出版されています。

さし絵仕事だけでも忙しいはずなのに、この時期、北斎先生は肉筆画や『略画早指南』など絵手本にも力を注ぎました。

まったく、北斎先生のパワーには驚いてしまいますよね。


一筆書き