北斎の周囲にいた浮世絵師たち①

鍾馗図「鍾馗図」

「鍾馗」さまは、中国の民間に伝わる神様で、魔除けや学業の向上にききめがあるとされ、端午の節句(五月)に段飾りの人形やのぼり旗の絵に描かれるおなじみの神様です。

北斎先生が春朗時代に描いたこの「鍾馗図」は、鋭い剣を魔物ののどもとに突きつけ、懲らしめている勇ましい図です。鍾馗さまは長い髭を顔中にたくわえ、 官服(昔の中国の役人が着ていた服)をまとい、長い剣をもっているのが特徴です。

左側の署名に「叢」の字が見えますが、勝川派をはなれて、新しい画風を求めて独り立ちしようとする北斎先生の意志が感じられます。

 

 

 


北斎の周囲にいた浮世絵師たち① 北斎先生 勝川派で役者絵を学ぶ
役者絵を学ぶこれまで北斎先生の生涯や先生の作品について、いろいろ勉強してきました。

そこで先生が生きた時代を再びたどりながら、先生に関係した浮世絵師や先生が影響をうけた浮世絵師について、もう少しくわしくご紹介したいと思います。

先生が若いころ、どういう絵師の絵に影響を受けたのかをこの号では浮き彫りにしてみようと思います。

 


春朗時代の師匠勝川春章

大谷広次の新田二郎、中山富三郎のあげまき少将北斎先生が十九歳になった安永七(一七七八)年、当時役者絵で有名だった浮世絵師勝川春章に弟子入りをし、春朗と名乗りました。

師匠勝川春章は、享保十一(一七二六)年生まれの江戸時代中期を代表する絵師です。春章は、主に歌舞伎役者の似顔絵を描くのを得意としていました。春章 の描く数々の役者絵は江戸の人々に大変な人気を呼んだのです。役者絵の代表作には「四代目松本幸四郎の浅間左衛門照政」、「三代目瀬川菊之丞」などがあり ます。

春章は、弟子もたくさん抱え、北斎先生の春朗や春好、春英などいずれも役者絵で活躍します。その後晩年には、もっぱら美人画の肉筆画を描くようになりま した。

春章に影響を受けた北斎先生は役者絵の「四代目岩井半四郎のかしく」や北斎館所蔵の二点(上の図版)を含め、役者絵の傑作を多く残しています。


北斎先生と仲のよくなかった勝川春好

市川高麗蔵北斎先生が勝川派をはなれた原因に、兄弟子勝川春好と仲がわるかったことが考えられます。先生の絵師としての実力が春好を上回っていたからとも言えるで しょう。

しかし、春好もなかなかの傑作を世に出しています。師匠ゆずりの役者絵や相撲絵は人気が高く、とくに大首絵と呼ばれる、胸から上をアップで描く役者絵は、後の東洲斎写楽などに大きな影響を与えたと言われています。

代表作には「市川高麗蔵・大顔」、「楽屋内・中村仲蔵」などの役者絵のほか、相撲絵 「力士谷風・滝の音」があります。

 

 


勝川派を破門された北斎先生は琳派の絵師になる

春好と仲のよくなかった北斎先生は、三十五歳の寛政六(一七九四)年、勝川派を破門されてしまいます。破門はもう二度と勝川派の絵師として活躍できないことを指しています。
普通の人だったら、完全に絵師の生命を絶たれることになるわけですが、先生は、それならばと名前を二代目の「俵屋宗理」と名を改めま す。

中国武人図、獅子図屏風

先生がまなんだ琳派は江戸時代初期の上方(関西)でおこり、やがて江戸にも伝わります。その特徴は大胆なデザイン性や装飾性にあります。有名な絵師に俵 屋宗達や本阿弥光悦、尾形光琳、酒井抱一などが知られ、みなさんも一度見たことがあると思いますが、俵屋宗達の「風神雷神図」はその代表作です。

先生は琳派をまなぶことで、その画風は著しい飛躍を遂げ、摺物や狂歌絵本などの挿絵を次々と描いて、人気絵師になったのでした。このころの先生の作品に、「中国武人図」、「獅子図屏風」、狂歌絵本『春の曙』などがあります。その他に、室町時代より始まった狩野派や西洋の絵の勉強もしています。

このように先生は、一つの流派の絵をまなぶだけでなく、積極的にいろいろなグループの絵を勉強しました。それで先生独自の画風をつくりあげたのです。